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マイケルジャクソンの全盛期は1987年29歳からの2年間!人気絶頂期のダンスのキレ、CDセールスが凄い!

マイケルジャクソンの全盛期は1987年29歳からの2年間!人気絶頂期のダンスのキレ、CDセールスが凄い! ミュージシャン

インディアナ州ゲーリー出身のマイケルジャクソンは「キング・オブ・ポップ」と称されていて、ポピュラーミュージックに多大なる影響を与えたアーティストの一人。

レコード/CDの全世界総売上は4億枚を超えていて、ビートルズ、エルヴィス・プレスリー、マドンナ、レッド・ツェッペリンなどと共に、歴史上もっとも売れたミュージシャンの一人ですね。

今回は、マイケルジャクソンの全盛期について、セールス面やエンタテイナーとしての角度から掘り下げてみたいと思います。

マイケルジャクソンの全盛期は1987年29歳からの2年間だと思う6つの理由

マイケルジャクソンの全盛期はいつだったのか?ということを考察するうえで重要なファクターは複数あります。

この記事ではそれらを一つずつ検証してみたところ、1987年29歳からの2年間がマイケルジャクソンの全盛期だったのではないかという結論に至りました。

1987年29歳からの2年間がマイケルジャクソンの全盛期だったと思う理由は次の6点です。

  1. 歌が一番うまかった時期であること
  2. ダンスの切れが抜群だった時期であること
  3. CDやビデオ等のセールスが最も多かった時期であること
  4. グラミー賞などの賞を一番獲得した時期であること
  5. 収入が一番多かった時期であること
  6. コンサートの動員数が一番多かった時期であること

「帰ってほしいの」(原題: I Want You Back)は、ジャクソン5が1969年に発表したシングルの曲ですね。モータウンとの契約後としては初のシングルで、ジャクソン5のメジャー・デビューシングルです。

リード・ボーカルは、録音当時10歳だったマイケル・ジャクソンですが、とても10歳とは思えない歌唱力、表現力やオーラがありますね。10 歳といえば小学校4年生の子供ですよね。

とても堂々としているというか貫禄すら感じます。もうすでにこの時点で全盛期を迎えてしまっているのではないでしょうか?

↓10歳の頃のマイケルジャクソン!!

4オクターブもの音域を持つといわれるマイケル・ジャクソンは、天性の才能がありながらとてつもない努力家っであったようです、マイケルジャクソンは5秒のパートをレコーディングするのに1時間をウォーミングアップに費やしたそうです。

また、広い声域を守る為普段から喉に負担を掛けないような喋り方で、高音で話していたそうです。

歌の全盛期としては、声の伸びや煌びやかさから考えて、アルバム「スリラー」をレコーディングを終えて、「バッド・ワールド・ツアー」を行ている1987年からの2年間は全盛期だったと思います。

↓BAD” live Bad Tour in Yokohama 1987の様子です。カッコイイ!!

理由②ダンスの切れが抜群だった時期であること

I Want You Backのテレビ映像を見ると、イントロは振付されたような感じて踊っていますが、歌っているときはダンスというよりかは自然と体が動いてしまって仕方ない楽しそうな雰囲気が伝わってきますね。

↓こちらは若干9歳の頃のマイケル。天才ぶりが分かります。

直立不動でマイケルが歌うのは想像できません。バッド・ワールド・ツアー行っている1987年時期のマイケルのダンスはまさに全盛期でその切れは抜群だったと思います。

↓こちらは1997年横浜スタジアムでの「Beat It」ダンスの切れが半端ない。

ダンスのノリが一番激しかったのはいつ頃?

「今夜はドント・ストップ」のビデオ・クリップを見ると、後の、ビートイットやスリラーに通じるマイケルらしいダンスが見られます。

スリラーのプロモーションビデオのダンスは、まさにマイケルらしいダンススタイルの全盛期の感じがしますが、その後、マイケルのダンスは衰えを知らないので、私は、スリラー以降のダンスは全盛期が続いていると感じますね。

しかし、相対的に見てみると、スリラーが売れた後ツアーの収入なども換算すると、私は、BAD期〜デンジャラス期が、セールス、歌、ダンス、体力的にも凄くバランスが取れていて全盛期だったのではないかと思います。

マイケルジャクソンのシングルの売り上げ枚数は以下の通りです。

  • 1位Billie Jean (530万枚)1983from『Thriller』
  • 2位Beat It (520万枚)1983 from 『Thriller』
  • 3位BAD (420万枚) 1987 from『BAD』
  • 4位Scream (410万枚) 1995 from 『History』
  • 5位Black or White(400万枚)1991 from『Dangerous』
  • 6位I Just can’t Stop Loving You (400万枚)1987 from『BAD』
  • 7位You Are Not Alone (390万枚)1995 from『History』
  • 8位Smooth Criminal (380万枚)1988 from『BAD』
  • 9位Thriller (370万枚)1984 from『Thriller』
  • 10位The Way You Make Me Feel (350万枚)1987 from『BAD』
  • 10位Earth Song(350万枚)1995 from『History』

理由④グラミー賞などの賞を一番獲得した時期であること

マイケルジャクソンの受賞歴は1983年から1984年にかけてのアルバム「スリラー」のヒットにまつわる受賞がたくさんありました。

1983年

  • ブラック・ゴールド・アウォーズ – 最優秀男性ボーカリスト、最優秀ビデオパフォーマンス「今夜はビート・イット」、年間最優秀シングル「ビリー・ジーン」、最優秀アルバム「スリラー」
  • ビルボード・ミュージック・アウォーズ – 年間最優秀ポップアーティスト、年間最優秀ブラックアーティスト、年間最優秀ポップアルバム「スリラー」、最優秀ポップアルバムアーティスト、最優秀ポップシングルアーティスト、最優秀男性ポップアルバムアーティスト、最優秀ポップシングルアーティスト、最優秀ブラックアルバムアーティスト、最優秀ブラックシングルアーティスト、最優秀ブラックアルバム「スリラー」、最優秀ダンス/ディスコアーティスト、最優秀ダンス/ディスコ12インチシングル「ビリー・ジーン」「今夜はビート・イット」(2曲同時受賞)、最優秀ビデオ大賞「今夜はビート・イット」、最優秀パフォーマンス男性アーティスト、アーティストのイメージを高めるため最も効果的にビデオを活用した楽曲「今夜はビート・イット」、アーティストの曲を盛り上げるため最も効果的にビデオを活用した楽曲「今夜はビート・イット」、最優秀振り付け曲「今夜はビート・イット」
  • キャッシュボックス・アウォーズ – 最優秀男性アーティスト、最優秀ポップシングル「ビリー・ジーン」、最優秀男性シングルアーティスト、最優秀ブラックアルバム、最優秀ポップアルバム、最優秀黒人男性アーティスト、最優秀黒人シングルアーティスト、最優秀ブラックシングル「ビリー・ジーン」
  • オーストラリア – 年間最優秀アルバム、年間最優秀シングル
  • ブラジル – 年間最優秀海外アーティスト
  • ギリシャ – 年間最優秀レコード
  • オランダ – 年間最優秀アルバム
  • イタリア – 年間最優秀アーティスト
  • 日本 – 年間最優秀アーティスト、年間最優秀男性ボーカリスト、年間最優秀アルバム
  • スペイン – 最も重要な海外のアルバム
  • イギリス – 年間最優秀アルバム、年間最優秀アーティスト

1984年

  • アメリカン・ミュージック・アワード – 特別賞、最優秀男性ポップ/ロックボーカリスト、最優秀ポップ/ロックシングル「ビリー・ジーン」、最優秀ポップ/ロックアルバム「スリラー」、最優秀ポップ/ロックビデオ「今夜はビート・イット」、最優秀ソウル/R&Bアルバム「スリラー」、最優秀男性ソウル/R&Bボーカリスト最優秀ソウル/R&Bビデオ「今夜はビート・イット」
  • アメリカン・ビデオ・アウォーズ – 最優秀長編ビデオ、最優秀ホームビデオ
  • ブリット・アウォーズ(イギリス) – 最優秀国内アルバム「スリラー」、最優秀海外ソロアーティスト
  • カナディアン・ブラック・ミュージック・アウォーズ – 最優秀海外アルバム「スリラー」、最優秀海外シングル「ビリー・ジーン」、最優秀男性ボーカリスト、年間最優秀エンターテイナー
  • グラミー賞 – 年間最優秀プロデューサー「スリラー」、年間最優秀アルバム「スリラー」、年間最優秀シングル「今夜はビート・イット」、最優秀男性ロックボーカルパフォーマンス「今夜はビート・イット」、最優秀男性R&Bボーカルパフォーマンス「ビリー・ジーン」、最優秀最新R&B楽曲「ビリー・ジーン」、最優秀男性ポップボーカルパフォーマンス「スリラー」、最も優秀な子供向け作品アルバム「E.T.ストーリーブック」
  • MTVビデオ・ミュージック・アワード – 最優秀パフォーマンスビデオ「スリラー」、最優秀振り付け賞「スリラー」
  • ピープルズ・チョイス・アワード – 年間最優秀エンターテイナー、年間最優秀ビデオ「スリラー」
  • NAACPイメージ・アウォーズ – H・クロード・ホドソン自由勲章
  • NARMギフト・オブ・ミュージック・アウォーズ – ベスト・セリング・アルバム「スリラー」、ベスト・セリング・シングル「ビリー・ジーン」、ベスト・ホームビデオ「メイキング・オブ・スリラー」
  • アメリカ大統領人道主義賞受賞

ja.wikipedia  より

しかし、私がマイケルジャクソンが全盛期だったと思う1987年からの2年間の受賞は、エンターテイメント性や人物に送られている賞が多いと思います。マイケルジャクソンとしての人物、存在感など人としての全盛期ではないでしょうか?

1988年

  • アメリカン・ミュージック・アワード – 最優秀ソウル/R&Bシングル
  • ビルボード・ミュージック・アウォーズ – 最優秀ブラックアーティスト、ブルース&ソウル、年間最優秀アーティスト、1988年ベストライブショー
  • ブラボー・マガジン – ゴールドオットー賞
  • ブリット・アウォーズ – 最優秀海外ソロアーティスト
  • ケーブル・エース・アウォーズ – 最優秀編曲特別賞
  • エボニー・マガジン – 年間最優秀エンターテイナー
  • ソウル・トレイン – 年間最優秀R&Bアルバム「バッド」、年間最優秀男性シングル。
  • 黒人大学連合基金 – フレデリック ・D・パターソン・アウォード
  • MTVビデオ・ミュージック・アウォーズ – MTV先駆者賞
  • NAACPイメージ・アウォーズ – 最優秀アルバム「バッド」、レオナルド・カーター人道主義賞

1989年

  • アメリカン・ミュージック・アワード – 特別功労賞
  • BETアウォーズ– 「バッド」ツアーの成功を讃えて
  • ビルボード・ミュージック・アウォーズ – 最優秀ブラックアーティスト、最優秀ポップ/R&Bアルバム「バッド」
  • ブラボー・マガジン – ブロンズオットー賞
  • BREアウォーズ – 三冠王アウォーズ(ポップ・ロック・ソウル)、年間最優秀ビデオ
  • ブリット・アウォーズ – 最優秀ミュージックビデオ「スムーズ・クリミナル」、最優秀海外ソロアーティスト、最優秀海外男性アーティスト
  • 英国レコード協会賞 – 年間最優秀ビデオ
  • キャッシュボックス・アウォーズ – ビデオのパイオニア賞
  • 批評家協会賞 – 最優秀ビデオ
  • フライデー・ナイト・ビデオ – 最優秀アーティスト
  • フォーブス・マガジン – 年間最優秀エンターテイナー(収入部門)
  • ガードナー・ストリート小学校 – 最も有名な卒業生
  • ソウル・トレイン・アウォーズ – 最優秀男性R&B/アーバンコンテンポラリーシングル、最優秀R&B/アーバンコンテンポラリーミュージックビデオ、第1回サミー・デイビス・ジュニア賞/ヘリテージ賞
  • ビデオ・ソフトウェア・ディーラー協会 – 最優秀ミュージックビデオ「ムーンウォーカー」
  • ワールド・ミュージック・アウォーズ – ホール・オブ・フェイム
  • MTVビデオ・アウォーズ – 最優秀特殊効果賞「リーヴ・ミー・アローン」
  • ナショナル・アーバン・コーリーション – ヒューマニタリアン賞
  • ピープルズ・チョイス・アウォーズ – 最優秀ミュージックビデオ「スムーズ・クリミナル」

ja.wikipedia より

一番売れたシングルとアルバムのタイトルは?

 マイケル・ジャクソンの一番売れたアルバムはもちろん 『スリラー』ですね。記録としては、1982年11月30日の発売以来、ビルボード・アルバム・チャートに500週以上ランクインし、世界中で累計1億枚以上売れています。『スリラー』 は、ビルボード・アルバム・チャートで通算37週間にわたって1位という記録を達成し、発売からの80週間、アルバム・チャートのTOP10入りするという史上初の記録も持っています。

理由⑤収入が一番多い時期だった

マイケルジャクソンの全盛期の収入は、1988〜89年で175億円くらいという声があります。全盛期の年収ものすごいですが、亡くなってからもマイケルジャクソンの収入は止まりませんね。

参考:yahoo

理由⑥コンサートの動員数が一番多かった時期であること

マイケルジャクソンのワールドツアーは毎回、300万人~400万人以上を動員し、ソロ初のワールド・ツアー「バッド・ワールド・ツアー」の初演が日本でした。当時は横浜公演が日本テレビで放映され、「マイケル旋風」と呼ばれるブームが巻き起こりました。

 

タイトル バッド・ワールド・ツアー
期間 1987年9月12日〜1989年1月27日
公演回数 15か国123公演
動員数 440万人
映像ソフト ライヴ・アット・ウェンブリー
備考 初のソロ・ツアー
タイトル デンジャラス・ワールド・ツアー
期間 1992年6月27日〜1993年11月11日
公演回数 69公演
動員数 320万人
映像ソフト ライヴ・イン・ブカレスト
備考 性的虐待疑惑等による心労により中断
タイトル ヒストリー・ワールド・ツアー
期間 1996年9月7日〜1997年10月15日
公演回数 35か国82公演
動員数 450万人
映像ソフト 未発売(DVD発売用にミュンヘン公演の模様が記録されている)
備考  

wikipedia より

日本公演の日程

★1973年 “In Japan!(ジャクソン5)”

  • 4月27日 東京音楽祭スペシャルゲスト、初来日(TBS)帝国劇場
  • 4月28日 広島郵便貯金ホール
  • 4月30日 大阪厚生年金会館
  • 5月1日大阪フェスティバルホール
  • 5月2日日本武道館

★1987年 “Japan Tour 1987”

  • 9月12日,13日,14日 後楽園球場
  • 9月19日,20日,21日阪急西宮球場
  • 9月25日,26日,27日,10月3日,4日横浜スタジアム
  • 10月10日,11日,12日大阪球場

★1988年 “Japan Tour 1988”

12月9日,10日,11日,17日,18日,19日,24日,25日,26日 東京ドーム

★1992年 “Dangerous World Tour 1992”

12月12日,14日,17日,19日,22日,24日,30日,31日 東京ドーム 12月31日は、カウントダウン公演

★1993年 “Dangerous World Tour 1993”

9月10日,11日 福岡ドーム

★1996年 “HIStory World Tour 1996”

  • 12月13日,15日,17日,20日 東京ドーム
  • 12月26日,28日 福岡ドーム

yahoo知恵袋より

マイケルジャクソンの伝説エピソード4選

マイケルジャクソンの活躍はセールスやコンサートの回数・動員などでは計り知れないものがありますね。ここでは、マイケルジャクソンの数ある伝説のエピソードから4つご紹介したいと思います。

  1. スリラーの振付は「ウエストランドで踊る」がヒント
  2. ムーンウォークの初披露は1984年
  3. ブラック・オア・ホワイトで世界に感動を与えた!
  4. We Are the Worldなどチャリティーや人道支援活動にも尽力

伝説①スリラーの振付は「ウエストランドで踊る」がヒント

「スリラー」の衣装を着用し、ゴースト役を演じたジョン・ランディス監督は、マイケルに振り付けを教えるために、彼に「ウエストランドで踊る」という映画を見せました。マイケルは、映画を見た後、振り付けを作り上げ、スリラーの振り付けは世界的な大ヒットとなりました。

↓「スリラー」のミュージックビデオは小林克也がパーソナリティのテレビ朝日の「ベストヒットUSA」で日本初公開され、ドキドキしながら見てました。

伝説②ムーンウォークの初披露は1984年

マイケルは、1984年のモータウン25周年記念コンサートで、伝説的なムーンウォークを初めて披露しました。このパフォーマンスは、彼の才能を更に広く世界に知らしめることとなり、今日でもその名を知られる代表的なパフォーマンスの一つとなっています。

ムーンウォークは、マイケルジャクソンが考案したダンスの一つで、彼の代表的なパフォーマンスの一つでもあります。ムーンウォークは、前進するように見えながらも、実際には後ろに滑るように移動するステップで構成されています。

ムーンウォークの基本的なステップは、以下の通りです。

  1. まず、左足のつま先を地面に着け、かかとを浮かせます。

  2. 右足のつま先を地面に着け、かかとを浮かせながら、右足を後ろにスライドさせます。この時、左足は浮いたままです。

  3. 次に、左足のつま先を地面に着け、かかとを浮かせながら、左足を後ろにスライドさせます。この時、右足は浮いたままです。

  4. この動作を繰り返して、滑るように移動します。

↓3:38頃にムーン・ウォークが見れますよ!!

ムーンウォークを踊るためには、繰り返し練習することが重要です。ムーンウォークを習得するためには、足の動きだけでなく、上半身の動きや手の動きも重要です。マイケルジャクソンは、その他のダンスムーブやフットワークとの組み合わせなど、多彩なバリエーションを加えながら、独自のスタイルでムーンウォークを表現していました。
マイケルジャクソンが生涯を通じて、数多くのダンスを生み出した中でも、ムーンウォークは特に象徴的であり、彼の芸術的な功績の一つとして語り継がれています。

伝説③ブラック・オア・ホワイトで世界に感動を与えた!

1991年、マイケルは「ブラック・オア・ホワイト」のミュージックビデオを公開し、全世界に感動を与えました。特に、最後に登場する地球儀を中心にしたシーンは、多くの人々の心に強い印象を残し、そのメッセージは今でも人々の共感を呼んでいます。

伝説④We Are the Worldなどチャリティーや人道支援活動にも尽力

1985年、マイケルは、アメリカの音楽チャリティーシングル「We Are the World」に参加しました。この曲は、世界中のアーティストたちによって歌われ、貧困や飢餓に苦しむアフリカの子どもたちを支援するために制作されました。

「USAフォー・アフリカ」の We Are The Worldです。私の家には当時ビデオが無かったので、テレビで放送があると釘付けになった感動しながら見た記憶があります。

マイケルは、音楽活動のみならず、チャリティーや人道支援活動にも尽力しました。1988年には、児童虐待についての啓発キャンペーン「マイケル・ジャクソンズ・ヒール・ザ・ワールド」を始め、世界中で広く支持を集めました。

また、2005年には、自身のトラブルについて、無実を訴えるための公判を経験しましたが、無罪が確定しなかった後、マイケルは再び音楽活動を開始し、ラスベガスでの大規模なコンサートを計画していました。しかし、それを実現することはありませんでした。2009年6月25日、マイケルは心臓発作により亡くなりました。彼の死は、世界中の多くの人々に衝撃を与え、その死に対する追悼イベントが世界中で開催されました。

マイケルジャクソンの伝説は、彼が生前に作り上げた音楽やダンスだけではありません。彼の人道支援活動や、社会的な問題に対するアプローチ、そしてその多様な才能と独特な世界観は、多くの人々の心に強い印象を残しています。今後も、彼の音楽やメッセージは世界中の多くの人々に愛され続けることでしょう。

マイケルジャクソンの全盛期は1987年29歳からの2年間!おわりに

終わりに最後にこの記事をまとめておきたいと思います。

  1. マイケルジャクソンの全盛期は1987年29歳からの2年間だと思う6つの理由
  2. 理由①歌が一番うまかった時期であること
  3. 理由②ダンスの切れが抜群だった時期であること
  4. 理由③CDやビデオ等のセールスが最も多かった時期であること
  5. 理由④グラミー賞などの賞を一番獲得した時期であること
  6. 理由⑤収入が一番多い時期だった
  7. 理由⑥コンサートの動員数が一番多かった時期であること
  8. マイケルジャクソンの伝説エピソード4選
  9. 伝説①スリラーの振付は「ウエストランドで踊る」がヒント
  10. 伝説②ムーンウォークの初披露は1984年
  11. 伝説③ブラック・オア・ホワイトで世界に感動を与えた!
  12. 伝説④We Are the Worldなどチャリティーや人道支援活動にも尽力
  13. マイケルジャクソンの全盛期は1987年29歳からの2年間!おわりに

記事を書くたびに本当に偉大な人物を亡くしたんだなと感じるマイケルジャクソン。後世に与えた影響は計り知れないですね。今回は、マイケルジャクソンの全盛期について記事を書きましたがいかがでしたでしょうか?

マイケルジャクソンは、今でも音楽シーンに大きな影響を与え、多くの人々に愛されています。彼の音楽的才能や驚異的なパフォーマンス、斬新なファッションなどが、現代の音楽にも大きな影響を与えています。しかし、彼の人物像には多くの論争があり、彼の生涯には様々な問題があったことも事実です。

それでも、マイケルジャクソンが持っていた音楽的才能と情熱は、今なお多くの人々に影響を与え続けています。彼の音楽やパフォーマンスを愛する人たちは、彼の偉大さを永遠に讃え続けることでしょう。

最後までご覧いただき有難うございます。

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