今、生きていたらどんな歌詞や曲を作ったんだろうと思う尾崎豊。26歳で亡くなってしまったのは、あまりにも早すぎますが、破天荒というか自分を傷つけながら生きていたよう尾崎豊がそんなに長生きが出来るタイプではなかったのでは。
今では当たり前に使われるイケメンという言葉は、女性向けファッション雑誌『egg』で1999年に初めて取り扱われているので、1992年に亡くなった尾崎豊はイケメンと呼ばれたことは無いのではないでしょうか。
今回は、敬愛する尾崎豊について、ギターや作詞・作曲など音楽面について深堀していきたいと思います。
◆この記事の内容
- 尾崎豊はイケメンでしょ!吉川晃司と友達?歌詞や名言について
- ギターメーカー
- 歌詞名言
- 最後に作った曲
- スクラップアレイ
- クッキー意味
- 忘れな草意味
- 米軍キャンプ
- 57番街
- ロザーナ
- 尾崎豊はイケメンでしょ!交友関係
- 吉岡秀隆
- 吉川晃司
- 浜田省吾
- 息子が歌った卒業
- 尾崎豊はイケメンでしょ!おわりに
尾崎豊はイケメンでしょ!吉川晃司と友達?歌詞や名言について
ギターメーカー
尾崎といえば「Ovation Super Adamas 1687-5」を抱えて弾き語りふうに演奏するのが、ギターを弾いている印象ですね。オベーションは正式には、オベーション・ギター・カンパニーと言って元々はヘリコプターのローターを作る会社でガラス繊維強化プラスチックの加工技術を応用してアコギを作るというユニークな会社で有名ですね。
デビューライブの新宿ルイードの時は、普通のアコギやエレアコを使用し、テレキャスターも使用していました。
「BIRTH」ツアーで使用していたテレキャスはフェンダー社の52モデルですね。
歌詞名言
尾崎は自分の実体験をもとに作った作品が多いと思います。作詞家の秋元康さんも尾崎のことは褒めていて、ご自身がめったに歌わないカラオケで歌うとすれば尾崎の「I LOVE YOU」だとおっしゃっています。
「やっぱり魂の叫び、つまりテクニック論とかじゃないじゃないですか。そういうものって、自分では書けないものとしては尾崎豊の詩、好きですね」
とテレビ番組で発言しており、100万人に向けて歌詞を書く作詞家と違って、尾崎は自分自身や特定のあなたにむけて歌っているというようなことも秋元さんはおっしゃています。
次に尾崎のMCなどから私が忘れられないものを紹介します。
「俺はただ自由になりてぇだけなんだよ。俺はもう偽善的な礼拝なんか絶対うけやしねぇぜ!!そうだろ・・自由じゃなきゃ意味がねぇんだよ!!お前ら本当に自由か。」
「時には過ちを犯してしまうこともきっとあるだろう。だけど過ちにさえ自分のこの体でぶつかってひとつひとつの物事を自分で解き明かしていかなければ、新しい第一歩は踏み出せないような気がするんだ。そのために傷つくことも多いかもしれない。そのために命を落としてしまうかもしれない。ただ、俺は新しい第一歩のためにこの命をかける。それが俺の生き方だ。笑いたい奴は笑え俺を信じる奴はついて来い。俺は真実を求め歩き続けるお前らを愛している」」
一つ目は、1984年3月15日、青山学院高等部の卒業式の当日、新宿ルイードにてデビュー後初ライブで、17歳の地図が始まる前のMC。ビデオが残っていますけど、歌っているというより訴えかけているというような鋭い目が印象的です。
二つ目は、1985年11月14日・15日、代々木オリンピックプール第一体育館でのライブでのMC。この模様は『YUTAKA OZAKI Last Teenage Appearance 早すぎる伝説 1985・11・15』が1986年1月14日に放映されで、私は友達が録画したビデオをその友達の家で見せて貰って、鳥肌が立った覚えがあります。
一言一言に重みがあり、説得力があるというか、やっぱり凄い人ですね。
最後に作った曲
尾崎豊が最後に作った曲を「太陽の瞳」だと思っている方が多いようですが、正確には違うようです。尾崎はこの曲が出来上がると母親の尾崎絹枝さんに聞かせたそうです。するとお母さんは一言だけ「寂しい歌ね」と呟いたそうです。
その翌日にお母さんは急逝してしまったので、正確には尾崎が最後にお母さんに聴かせた曲ということになります。亡くなったお母さんに向けて贈った曲が「Mama, say good-bye」で、尾崎が最後に作った曲ということになります。
スクラップアレイ
「Scrap Alley」は直訳すると廃棄物の路地ということになりますが、プロデューサーの須藤氏いわく尾崎の友人が関係していた暴走族の名前ではないかということです。尾崎はアマチュア時代、バンドを組んでいてギターを担当していました。その時のヴォーカルがレーシングドライバー、武井寛史氏だそうです。その武井寛史氏に贈った曲が「Scrap Alley」で、レコーディングの時に尾崎は武井寛史氏をスタジオに招待したそうです。
「15の夜」の背景となった家出がこの曲のモチーフで、最後に行き着いた場所が自動車のスクラップ置場だったというのは実話だそうです。
クッキー意味
『COOKIE』は環境問題の歌だと尾崎本人がどこかで言っていたと思います。環境破壊や経済資本主義など社会の矛盾や問題を訴えながら、『オイラの ためにクッキーを焼いてくれ、温かいミルクも入れてくれ』と、彼が最も幸せを感じる瞬間を対比させて、人の幸せについて問いかける歌だと思います。
忘れな草意味
「Forget-me-not」非常に重たい歌ですね。ここは、プロデューサーの須藤氏の言葉を引用させていただきます。
「この人、このまま死んじゃうのかなと思うぐらいすごかった。あれが僕にとっての、尾崎豊の最も鮮烈な思い出ですね」「なんだか、この曲を歌うために尾崎さんは存在した、っていう気さえしますね」「自分にとっては実はとても重たい曲で、デリケートな曲でもあるんです」
10代のうちにアルバム3枚をリリースすることになっていた尾崎は、3枚目の「壊れた扉から」のレコーディングでこの曲だけが歌詞が決まらずに頓挫していました。その日のうちに歌入れが終わらないとリリース日に間に合わないという最終日にスタジオを抜け出して、ぎりぎりにスーツとネクタイ姿で歌詞を完成させて戻ってきた尾崎は、ワインと下りず目のお寿司をスタッフにお土産として持ってきたそうです。
そのまま、2回歌入れを行って、1テイク目が採用されました。尾崎がスーツにネクタイ姿で歌った曲はこの曲だけだそうです。
米軍キャンプ
尾崎豊が少年時代に練馬区で過ごした場所に存在した「グラントハイツ」と呼ばれていたアメリカ空軍の家族宿舎を背景を元に作られた作品。「米軍キャンプ」に登場する女性は「ダンスホール」の女性と同一人物ではないかと言われています。
「グラントハイツ」の現在は、東京都練馬区光が丘の全域およびその周辺地域です。
57番街
尾崎豊の5枚目のアルバム収録曲の「黄昏ゆく街で」は出だしの歌詞が♪57番街に吹く~♪なので、57番街が曲名ではないかと勘違いされている方も多いのでは。私もカラオケで、57番街を探したことがあります。英題は「57th Street」(フィフティセブンス・ストリート)なので、間違ってはいないのですが。
この曲は、日本でレコーディングされていますが、ミュージシャンが全員外人ですね。
月刊「カドカワ」に尾崎が連載していた小説のタイトルも『黄昏ゆく街で』ですが、編集長の見城徹氏とのトラブルにより、連載が止まり、未完のまま発売されていますね。
ロザーナ
ロザーナといえば、洋楽好きの私は、アメリカのロックバンド「TOTO」のヒット曲「Rosanna」を思い浮かべてしまいます。
尾崎豊は、ラブソングのように聞こえるけれど、その根本に愛・自由・夢などの人間の生活の根本は何だろうという問いかけが含まれていて、普通の恋愛ソングではないところが凄さというか、魅力なのでしょう。
尾崎豊はイケメンでしょ!交友関係
尾崎豊は友人の結婚式の披露宴で歌うのを頼まれたときに、歌の合間のスピーチで友人への思いを語りながら涙ぐんでしまうほど友人思いでした。尾崎は、いわゆる芸能人ではないので、芸能人との幅広い交友関係はなかったものの大事な人が何名かいました。
吉岡秀隆
吉岡秀隆さんは、尾崎のファンで尾崎がテレビ出演した「夜のヒットスタジオ」の楽屋を訪ねた時からの交友のようです。吉岡さんが出演している「北の国から’87初恋」の挿入歌に尾崎豊の「I LOVE YOU」が使われているのは有名ですよね。
これは、純役の吉岡秀隆君とれい役の横山めぐみさんとの恋愛の場面を描くシーンので使われ、吉岡さんが原作・脚本の倉本聰さんにどうしてもこの曲を使いたいと強く推薦したそうです。
尾崎も「吉岡はいい。あいつはいい役者だ。あいつは気になる」と話してて、吉岡クンを弟のように可愛がり、スタッフや友人に押岡さんを紹介する時に「俺の弟だ」と紹介し、尾崎さんは「オレのことを兄と思ってくれていいよ」と言っていたようです。
吉岡さんは尾崎さんにもらったネックレスをプライベートでは常につけているようです。
尾崎は、吉岡を主役に「幻の少年」という映画を作ろうと考えていたようですが、残念ながらかなわなかったですね。
吉川晃司
吉川晃司さんは1965年〈昭和40年〉8月18日生まれで、1984年2月1日シングル「モニカ」でデビュー。尾崎豊は1965年〈昭和40年〉11月29日生まれ、1983年12月1日にCBSソニーからのシングル「15の夜」アルバム「17歳の地図」でデビュー。
二人は、同い年でデビューも同期で、大の飲み仲間で親友だったようです。有名なエピソードを紹介します。
尾崎豊さん(享年26)と一緒に酔いつぶれていたところ、女子高生から説教を受けた過去があることを明かした。
尾崎さんとよく飲みに行っていたという吉川。ミュージシャン仲間が集まるバーで一緒に飲んで帰る際、その店の階段を上がっていったところにゴミ収集袋が積んであった。夏場だったため、ビニールで出来ているゴミ袋はひんやりと冷たく、その気持ち良さに酔っていた2人は眠り込んでしまったという。
起きたら朝。そのゴミ集積場の隣はバス停で、何人か並んでいた。当時も人気を博していた2人だったが、キャーキャー騒がれながらもその中の女子高生らから「はずかしいから起きて下さい」「みっともないから起きた方がいい」などと説教を受け、すごすごと帰路についたと明かした。
浜田省吾
尾崎豊と浜田省吾は、同じプロデューサーで、所属事務所も同じころがあります。尾崎はLIVEのMCでも、浜田省吾をよく聴いていたと話してかなり尊敬していたと思います。
息子が歌った卒業
尾崎豊の一人息子「尾崎裕哉」さんは歌手デビューもされていて、「I LOVE YOU」や「卒業」をカバーされていますね。「似てる」「生き写しだ」などの声が多いですね。
私の個人的感想は、やはり尾崎豊さんと比べてしまうので、その分ハンディキャップになっている感じで、申し訳ないなと思っています。芸能人やタレントの方で、いわゆる親が芸能人や有名人で大成して言う方も多いので、二世だからどうということは無いのですが。
尾崎豊はイケメンでしょ!おわりに
最後にこの記事をまとめておきたいと思います。
- 尾崎豊はイケメンでしょ!吉川晃司と友達?歌詞や名言について
- ギターメーカー
- 歌詞名言
- 最後に作った曲
- スクラップアレイ
- クッキー意味
- 忘れな草意味
- 米軍キャンプ
- 57番街
- ロザーナ
- 尾崎豊はイケメンでしょ!交友関係
- 吉岡秀隆
- 吉川晃司
- 浜田省吾
- 息子が歌った卒業
- 尾崎豊はイケメンでしょ!おわりに
尾崎豊はイケメンで、歌が上手くて作詞も出来て作曲も素晴らしい。天は二物を与えずといいますが、尾崎はいくつの才能を持っているのでしょう。生きていれば、小説や映画の分野にも進出したと思うので、本当に残念です。
最後までご覧いただきありがとうございます。
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