1973年に世志凡太(浅香光代の内縁の夫)がプロデュースし、漫画家の水島新司(ドカベンが代表作)がレコードジャケットのイラストを手掛けた「個人授業」がミリオンセラーとなったフィンガー5。
私は、小学生の低学年はどっぷりはまり、夕方になると、新聞のテレビ版を見つめて、今日はどこに出るのかな~と毎日楽しみにしていました。レコードもおそらく全部持ってると思います。
今回は、そんなフィンガー5の妙子さんの基本的なプロフィールから現在の暮らしについてまで、気になる情報をまとめてみましたので、ぜひ最後までご覧ください。
◆この記事の内容
- フィンガー5妙子の現在|今の生活など
- プロフィール
- 「フィンガー5」の実績とは
- 現在の年齢:職業や結婚など
- フィンガー5妙子の現在|今の生活など|おわりに
フィンガー5妙子の現在|今の生活など
フィンガー5(フィンガーファイブ、Finger 5)は、1970年代に活躍した日本の男4人女一人の混合歌謡アイドルグループですね。沖縄県出身で、5人兄妹が踊りながら歌い、四男の晃の変声期前のハイトーンボイスが魅力的でそのトンボのようなサングラスに相当憧れていました。
プロフィール
本名:玉元 妙子(たまもと たえこ、1962年6月7日生まれ、血液型:A型) 次女。
キーボード担当。ボーカル。
日出高等学校を卒業し、1人娘さんがいらっしゃいます。
「フィンガー5」の実績とは
フィンガー5の前身は、沖縄在住の当時小学生の長男・一夫、次男・光男、三男・正男が「オールブラザーズ」として始めたバンドです。晃は「自分と妙子は後から無理やり参加させられた」と言っているそうです。
「オールブラザーズ」は、沖縄のコンテストで優勝しテレビ局のプロデューサーの勧めで、1969年東京都東村山市に一家で移住し、母が自ら車を運転し、日本中の在日米軍基地を回ってコンサートを行いデビューを狙っていました。1970年にバンド名をベイビー・ブラザーズに変えてデビューするも売れなかったそうです。
デビューしても売れない中、沖縄に帰る準備をしていた頃に別の音楽関係者の目に留まります。
子供に向けて子供の歌手をデビューさせる企画を描く担当者が「オールブラザーズ」を知り、「少し出来るだけのガキだろう」と思いながらたまたまデモテープを聴いたところ、「これは本物だ」と驚いたそうです。そして、1972年に再デビューし、母親が米国で当時大ヒットしていたジャクソン5を意識し、「フィンガー5」と名付けたそうです。
「個人授業」が、ミリオンセラーとなり一気に知名度が上がると、その後「恋のダイヤル6700」「学園天国」などを発表し、いずれもミリオンセラーとなり、テレビ・映画にも多く出演した。
初めてのテレビ出演は子供の視聴が多い土曜の夕方に放映されて、放映直後に問い合わせの電話がテレビ局に殺到したそうです。
現在の年齢:職業や結婚など
1962年生まれの妙子さんは2023年で61歳ですね。
フィンガー5の解散後、妙子さんは高校に通い卒業後はコンピューター会社でキーパンチャーとして働いていました。その後、親からの早く結婚してほしいというプレッシャーで、三男・正男が経営していたバーのお客と知りあって結婚しました。当時20歳。翌年、長女を出産して家庭に入りました。
ご本人曰く、音楽より主婦が向いていたとの事。
フィンガー5妙子の現在|今の生活など|おわりに
- フィンガー5妙子の現在|今の生活など
- プロフィール
- 「フィンガー5」の実績とは
- 現在の年齢:職業や結婚など
- フィンガー5妙子の現在|今の生活など|おわりに
この記事を書きながら、私が小学生の事に憧れていた「フィンガー5」の歌声が戻ってきました。今は、あまりにも情報が多すぎて、あんなにワクワク・ドキドキする体験はもうできないのでしょうか?
旨がキューンとなるような経験が出来ただけ、「フィンガー5」と出逢えてよかったと思います。最後までご覧いただきありがとうございます。
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